昭和49年01月19日 朝の御理解
御理解 第95節
「世には神を売って食う者が多いが、此方は銭金では拝まぬ。神を商法にしてはならぬぞ。」
ここの所を色々に頂きました。例えば御祈祷料を取ったり、又はお札を幾ら幾らと言う様に定めてお札を売ったり、これなんかの場合はやはり神様を商法に使っておると言った様な感じですね。金光様は、そうでは無いという風に、何時も聞いて頂くんですけれども。私は金光様の御信心を頂いておっても、これは信者教師を問はずですけれども、金光様の信心を頂きながらも、やはり神様を商法に使って居る様なことは無いだろうかと、反省してみる訳ですけども。
例えて申しますと昨日午後の奉仕の時に、中島の上滝さんがお参りしてきました。毎年正月の二十四日はあそこの宅祭り謝恩祭を致します。それでどうぞよろしく御願いしますという事でございますから、本当に上滝さんあんたが日頃信心が出来ん、それでもおかげを頂いておるのだから、もうあんたの処の場合は愈々本当に一年間のおかげを思い、一年間の信心も出来ずに致しませづに、おかげを受けて居るのだからもう何処よりも、謝恩の気持ちと云うものがなから無ければいけないねと云うて話した事でした、
この頃堤さんの処でも云った様に、親先生本当におかげを頂いておりますと。子供達は子供達嫁達は嫁で皆んなようしてくれますし、言い様の無いほどおかげを頂いておりますと。事実おかげを受けて居るです。ですから本当に上滝さんあんた家には、おかげを頂き過ぎてから信心が、それこそおかげ頂いとるおかげで、信心が出来んねと言うてあんたに話したように、あんた方の場合はそういう訳けだから。
本当に一年に一回の謝恩祭は、愈々謝恩の思いをそこに思いを結集して、お礼のお祭りを仕えなければいけないねと申しました後に色々とお話をした事でした。丁度昨日の御理解を、自分も頂いて居る中に今の話が出てた訳です。親先生今日は私の痛い処を衝かれましたとこう言うから、あんたがまだ痛い所を衝かれたと云う位なら、まだ見込みがあると私が。けれども何を言うかと言う様な思いで聞いたり、又はそれを痛い思いもせずに、しっぱりまぁくして、聞いている様な事であったら値打ちは無いけれども。
あんたがまだ痛い処を衝かれた、痛いと思うたと云うなら見込みが有るから、私が話をするよと言うて、それから又話をした事でした。上滝さんあなたがね、例えば熱心に信心をするようになる。一生懸命合楽の御用にも立たせて頂く様になる。自分のお母さんもまだ元気だし嫁中隠居くらいの処。それに先年から一寸変った病気をしてから体を大事にして、やっぱ真ん中の道江さんが一番弱いと云う感じ。だからこの弱い体もですこれから先を、本当に神様に喜んで頂く信心。
本当に御用の端にでも使うて頂きたいという願いを、あんたが立ててさぁ先生が今日云うたから、明日から始めると云うても出来る事じゃないけれども。是は本気で信心せなければいけないなと、思わにゃ居られない様な事が、年には何回か有ってる筈なんだ有るんだ。だからそれを良い加減にしてきて居るのだから、そこの処に一心発起して、そこからおかげを頂く様になるとと云うて、久留米の昨日も話ましたように、播磨さんという総代さんの話しをさせて頂いた。
そこからです本当に私はたまがる様に、播磨さんの信心聞かせて頂き、決して深い信心とか広い信心とは思わない。けれどもですおかげを頂いておられる、生き生きとした事実と、御用にもいわばない命を六十歳くらいでしたかね倒られて。それ以後と云うものは、親教会の為だけではない、筑水連合会だけの為だけではない。云はば中央に出られるため、御道に出られることに、自分の生涯を賭けられた。賭けられたらどうかね、寅年と言われるから、私と友達の様に思っておったけれども。
を聞くと私より一回り多い事が判った。先日それで私は改めてです、いうなら七十にもなられる人が、あれだけの生き生きとした勢いを持って、道の為お役に立とうお役に立とうと云う願いを立たれたら、身体だけの事ではない商売も自分が手を掛けねば出来ない商売でしたのが、息子が引き受けて息子に委せておって充分のおかげを頂く様になるし、願っておった信心にもなる様になるし家内も参って来る。
親子揃うて朝参りがあってると言う事でございますが、出来るようになりそして自分は、本当に席の温まる暇も無いくらいに云うなら、久留米教会の為にまた金光教の為に、一生懸命働いておられる。これは男だから女だからのことではないんだ。そういう例えば、あんたが、これからの余生をそういう処に、打ち込むような気持ちになったらどうかね。何かそこに一つのきっかけが出来たら、一つそういう気持ちで弾まんね、上滝さん私はあんたにこげん言いよるけどもね。
合楽教会にはこげな熱心な信者が出来たと云うてです。合楽教会の良い信者が出来たと云うことの為に言いよるのじゃない。これはあんた自身あんた一家の為に、私は一生懸命に言いよるとよと云うて、お話した事でしたけれど。今日の九十五節を頂いたら、その時の事を、改めて頂くんですよ。是がどうでしょう、金光様の信心をせろ、金光様の信心をせろと云うて奨めて、云うなら教会が発展する様に繁盛する様に。
より信者が出来ると教会の名誉でもあるし、教会の為になるからという様な気持ちで、もし私が皆さんに話しを聞いて貰うなら、これは神を売るのと同じだと思うですね。そうでしょう。だから、金光様の信者、信徒でもです、やはり神を売るような信心をして居る者も沢山有るだろう。神を売る様なお取次ぎをしている先生も沢山有りはしないかと、私は思うですね。
ただ自分所の、例えば家の信者を取ったの取られたと言う様のは、是はその先生は、絶対神様を商法にしておるとです。この頃から熊本の山田先生が、布教をお許しを頂きましたから、熊本という処はそれは大変なところでございましてね。もう絶対よそものは入れないち云う処なんです。それで入る為にはそれは大変な、云うなら喧嘩腰で行かなきゃ出来ないち言うです。だから甘木関係なんかが少し入っとりますけども、それは入る為には大変な事であった。
丁度そういう様な時に、山口の永田先生が見えてここで修行しよりました、博子さんです。山口の叔母さんに当たりますから、永田先生の処から出たんです。そして熊本の自宅で布教するという事になったから、それこそ周囲の教会が、全部反対した。ところが、又、片一方も強引ですからね、その事を本部に持って行った。こちらの教務所では駄目ち言う。ところが本部では、どういう訳で断わるか、どう云う訳で布教してはいけないかという理由書を取れと云う事じゃった。
だから各教会から理由書を取った訳です。ところが実際は排籍をする理由というものが、一つも無かったち言われておる。だから近所は全然認めん儘に、本部の方から許しを頂いて以来、とても熊本という処は大変な処ですよと言うて、永田先生が来て云われるとです。けれども永田先生、私は思うですよと。全教一新全教一家と言う事を、最近の教団の事を祈る時には、此の事だけしか祈らん位に私は思うておるです。全教が本当に一新しなければならない。
教祖様の御時代の様な、それこそ生き生きとしたそれこそ触れば温味を感じる、突つけば血が飛び出る様な、あの時代に信心に還る事が一新することなんだ。全教一家と言う事はです。本当に全教が一軒の家の様に、仲睦ましう行く事なんだ。あぁ何処派甘木派久留米派、いや合楽派と言った様なものが有って良かろう筈は無い。私の全教一家はもっと大きいです。全教一家と云うのは、仏教であろうがキリスト教であろうが、人がそこに助かるという程しのものであったら全教です。
あらゆる宗教が一丸になって、和賀心時代を創っていかなければいけない。どういう素晴らしい教えを持っておりましても、色んな宗教が。けれどもそれは余りにもややこしい。例えば罪とか、又は因縁とかと言う事を説きだしたら限りなが無い程に難儀な元というのがあるのだけれども。教祖が云われるそのもう一つ向こうの、おかげを頂かれる道。人間が、和らぎ喜ぶ心、和賀心というものを、本気で願い求めて行くと言う事になれば、その一切がおかげが頂かれるんだという確信を、私が持っておるから。
本当に膝突き合わせて、和賀心という功徳が、こういう功徳あるんだと云う事を、説いていけば、全教一家という様な、あらゆる宗教が一つになって、世の難儀な氏子、世界総助けの働きという、そういう運動にもなって来なければならんと思うて居りますから、本当は、全教一家というのは、金光教だけの事じゃない。そういう思いを持っておるから、決して山田先生が、熊本で出るの、出られんのじゃないから、初めからです私は山田先生を見とって必ずしも、合楽の手続きじゃなくてもよかて。
九州の熊本の教会の萬野という先生が中心なんです、あちらは。だから萬野先生の処の出社ででも良い手続きは。あちらの教会は、合楽の教会の手続きだと言う事は、どうでもよい。問題はそこに布教所が出されさえすれば良いんだと。私はそういう腹で居るから、必ず合楽てんなんてんち、合楽なら合楽にしがみついとく事は要らんよ、布教所が出されされすれば良いのだから。
私が行ってお願いに廻らんならんから、廻る前にあんたが一遍、隣接教会に行ってから、先生が居りなさらんと困るから、何時何時は、合楽から大坪が来るからと言う事を云って、あらかじめ行く事を云うて置く様にと云うておきましたから、先日からそんな腹で行った。私はそういう風に願っておった。丁度一週間くらい前でしょうか、やって来ましてから、おかげであちらこちらへ行きました。
私が何時何時頃行ったら良いかと言うたら、向こうの方の教会でも、私は驚きました事は、植木の教会というのは、今度山田さんが移っていった処と同じ町なんです。川一重しか離れとらん小さい町です。所が向こうは八十からのお爺さんだそうですが、合楽からとこう云うたらもう大変、色々お世話して下さってですね。本当に人が助かる事ですから、どうぞ宜しくお願いしますと言うて言われたち言う。
一番問題になるだろうと思っておった上熊本教会もです、本当にお道の発展、御比礼の為ですから、そんなにわざわざ【?】になさらなくてもと云うような御挨拶じゃったと。こちらが、その腹で行ったら、そういうおかげになって来とるです。山田さんは自分が永く熊本に居って、自分が有名な信者であった事を、皆さんが知っちゃったから、こげん簡単に云うて下さったんじゃろうと言う意味の事を云いましたけれども。問題は私の腹がです全教一家という、そこに焦点を置いてからと私は思うた訳です。
どうでも合楽から出さにゃならん。その前々日でしたかね、今云う、山口の永田先生が見えて云われるのは、博子さんが時の事の大変難しい、とうとう隣接教会は認めんままであった。然も理由書まで取った。それで隣接教会は全然問題せずして、本部から山口の出社として許可を受けて、現在の布教所が出来て居ると言う話しを聞いた。噂に違わずそこは大変難しいことだなぁと実は思っておった。けれどもこちらの腹がそれですから。ただ合楽畑を拡げようと言うのじゃない。
金光様の信心を拡げようというのだから。私は自分の処だけを拡げよう、こういう行き方は、私は神様を商法に使うて居るのも同じ事だとこう思うた。自分方のお得意さんば増やそうと言う様な考え方なんですから。今日私はこの九十五節を、今迄までとは全然違った意味において、神を商法にすると言う事は、そう言う事も、神を商法にする事になる。金光様は違うとは云われん。金光様の信心者の中にもです。矢張り神を商法に使っておるという事になるのが、沢山あるんだと言う事。
そこで私がです本当にここを叩かんばかりして、皆さんにさぁ寒修行が始まったばい、寒修行にしっかり参って来なさい、工夫して参って来なさいと、皆さんにこうやって申しております。それは合楽教会の為に云うて居るのじゃない。あなた方一人一人の為に、あなた方のお家の、本当の助かりの事の為に、難儀の氏子と言う事の自覚と云うものが、お互いに出来てから。私位でも皆さんが助かって下さったらです。
もっと垢抜けしたおかげ、然もあの世にも持って行け、この世にも残して置けると思われる程しのおかげを、皆さんも受けられる事が出来る。私の云う事を聞いてくればと思うから、私は本当に卓を叩かんばかりにして云いよる訳です。私は神様を商法にして云いよるのじゃない。本当に難儀な氏子が助からにゃならんから云いよる。あぁまた親先生が同じことを云いござる。又あの話と例えば云わずに思わずにです。御理解というものを、何時も白紙になって頂かにゃいかん。
自分の心というものを空のものを以って、まづ頂かなければならない。昨夜も私はそういう意味の事を、一生懸命に皆さんに聞いて頂いて最後にです。最後の締め括りを一言云いたいと思ったけれども、締め括りの言葉がなかった。しばらくお説教台の前で瞑目御祈念させて頂いたら、丁度私が初めて御装束を着けた時の事を頂いた。装束を着けてしもうて、冠を被ってをる処を頂いた。
それでその事を皆さんに聞いて頂いたんですけれども。例えば本気で信心させて貰おうと、本気で寒修行に参加させて貰おうと言う事は、丁度私が初めて御装束を着けて御神前に出て、こげなもんばごうたらしかもんば着たなら、どげん動き難かっじゃろうかと思うとった処が、実を云うたらあの装束を着けたら、実に動き良いと言う事。膝行膝退例えば進むでも退るでもです。
普通の紋付袴ではとても出来ない事が、きちっと出来るんです是は。だから能とか歌舞伎芝居なんかで、着とる大きな衣装装束なんかでもです。あれはちょいとそうにゃ重かろうと言いよるけれども、あれを着るからこそあれだけきちっとしたものが出来るんです。と云う事を私が体験して居りましたから、ははぁこの事が締め括りばいなと思うて、最後にその事を聞いて貰った訳です。と云うて何時もかつも装束着けて居ると言う様な訳にはいかんお互いが。
けれども御大祭だという時には、お装束を着ける様にです。寒修行だという時にはです。そういう填りを持って、装束を着けた様な気持ちで本気になってご覧、決して朝御祈念に遅れる様な事は絶対有りませんです。又しるしいと言う様な事も絶対感じないです。もししるしかったり、時間に遅れたりするのは、まぁだ自分が装束を着けてない証拠です、本気で。ただ目が覚めたなら参ろう位な考えだからそうなんです。これは寒修行だけの事ではありません。
本気で信心をさせて頂くと、本気で修行をさせて頂く云う、一心発起が出来た時には、それこそがっちりと装束を着けた様なもの、身を固めた様なもの。だからカッチリと出来るんです。夕べも秋永先生と二人で、あらもうすぐ三時という時間まで、それこそ信心話しを一生懸命させて頂いた。どうしたなら夜もないごと夜中もなかごと、こげん信心話をせにゃならんか。秋永先生が合楽の信徒会長として、立派な信徒会長になって貰わんならんけんじゃないて。秋永先生自身が本当に助かって貰わんならんから。
秋永一家が本当に足らなければならんからなのです。おかげを頂いて装束を着けて居るから、休みも致しておりませんけれども、きつさも感じなければ眠さも感じん。そういう私は御教えを受ける時には、先ず白紙で日々頂かにゃいけない。同時にです愈々信心を本気でさせて頂くと言う事になればです。はまらにゃ出来ん装束を着けなきゃ出来ん。出来ない筈の事が出来る。だから出来ない筈のおかげが頂かれるのです。とても夢にも思はなかった様な、おかげにもなって来る訳です。
その辺の処をシダゴダとした様な信心じゃ、矢張りおかげもシダゴダです。今朝方お声に祝い目出度の若松様よという御理解が、御理解百節にあります。それを祝い目出度の竹内様よと頂いた。竹内ちゃ家には伊万里の竹内先生方一家と、日田から参って見える武内さんと二人しかおんなさらんが、どう言う様な事じゃろかと。竹内。祝い目出度の若松様よが、祝い目出度の竹内様よちゃどう言う事であろうかと。そして私が気付づかせて頂いた。ははぁ若松と言う事に対する竹内だなと思った。
竹はここでは純粋とか素直とかいう意味で頂きます。だから信心を性格的におとなしいとか素直とか純だとか云うのとは違う様です、信心で純だ素直だと言うのは。信心で云う素直さ。だから素直をにて雲の上までも上る道があると言われる位です。それはどう言う事かと云うと、私は白紙に何時もなって居る事だと言う事。何時も白紙で御理解を拝聴しておると言う事だと思う。もし白紙で御理解を拝んで頂く、拝聴しておるとするならです。その日の動きというかその日のあり方が必づ変って来なけりゃいけない。
あげな事は知っとるとか、前聞いた事があるとか、そんな古かつと一緒になるから、なんとはなしに、ただ頂いた丈になってしまうのだ。それこそ祝い目出度のと言う様なおかげを頂く為にです。又今日私が申しました様な信心を。本気で身に着ける事の為にです。はまらなければならんと言う事と同時に白紙でみ教えを頂くと言う事。そしてそれを純粋に素直に受けて行く事だという風に思わせて貰います。
本当に私が思いますこと私が判り得て居ること。私が頂き得て居る事だけでも皆さんに判って貰いたい。そして私が頂き得て居ることだけでも、皆さんに頂いて貰いたい。こういう時にこいうな心のじょうたいになったら、ここにはいっちょん問題が、私にはないのに、皆さんにはそれが問題であると言った様な場合なんかは、それを本当に思う。はぁ信心の方を進めにゃいかんな、信心をもう一段進めにゃいかんな、進めなさらなければいけなと思うんです。
昨日久富さんが頂いておられるお知らせに、金銀銅と云う事を頂かれた。だから私はそれを頂いてから実を云うたら、是は福岡の三代の吉木辰次郎先生が、一遍私と秋永先生が、夜の御祈念に偶々一緒に参り合わせた。そしたら裏さへおいでと云うて先生のお部屋に呼ばれていってお茶を呼ばれた事があった。私が熱心な信心をさせて頂いている頃でしたから、私を学院に行かんかと言う様な事を言いたいというお話が一杯であった。
所がこっちはその頃はまぁだ金光様の先生なんてんちゃ、いっちょん思うとらん。ただ商売でおかげ頂かんならんとばっかりしか思ってない時ですから、けれどもその時の話は、私は本当に、今でも色々残っておる中にです。本当になぁあの時私があの修行ばやり抜いとったら、今頃はもっと増しなおかげを頂いとったばってんなぁち言うてから、しみじみと仰った事を覚えておるです。
私があの時、あの修行を本当にやり抜いとったら、今頃はもっと増しなおかげが頂けとるとばってんなぁと言われた。それはどう言う事かと云うとね、夜な夜な奥城に随分あそこは離れております。教会からあすこは何とかいう処でしたね。サハラサハラの山の上に奥城があった。だから夜中は本当えすかごとある処を通らなきゃならんのです。そういう時にある晩ですね、どげん行ってもどげん行っても、奥城に辿り着かっしゃれじゃったそうです。神様はあげな事がありますよね。
グルグルどっかを回っておった。普通で言うなら狐に騙されたと言う様な事かも知れません。それがあって以来怖くなって、それきり止めたち言う訳です。私共でもそういう意味での修行の時に、そんな事が何回もありました。けどもあん時の修行を、私がやり抜いとったらです。本当に今時はもちっと増しなおかげが頂けとったばってんなぁち言うて云われた事が、今に身に滲みて残っておりますがです。
久富さんがその事を頂かれて、実は私も本当にあの時分の、修行中の時分にあの事が出来ておったら、今頃はもっと私はおかげを頂いとったばってんなぁちゅうて、久富さんに話した事でした。その事は金銀銅と云う事は、云うならば金賞、銀賞、銅賞という意味じゃろうと思うた。本当にあればあのまま頂いとったら、それこそ金賞くらい頂いとったかもしれんけれども。まぁ銅賞なら銅賞くらいで終えた。
今久富さんあなた方こそ、只今修行中という看板を上げとりなさる状態の中じゃから、それからと云うて何年後に今です、あの事をもう一遍やり直そうと云うたっちゃ駄目なんです。修行中の時でなからなければ。だから修行中と自分で感じて居る時こそ素晴らしい。この寒修行なら寒修行という時こそが素晴らしいんです。その時にやり抜こうと思うた事をやり抜いとかんとです。後からその替わりにち云うたっちゃです、それじゃ駄目なんです。だから今からいうならもう半ば過ぎた。
過ぎたけれどもです後十五日未だ残っておる。その十五日をです。金賞銀賞頂けんでもせめて銅賞くらいは頂く。それは毎日参りさえすりゃ金賞貰うと、そういうものじゃないです。問題は信心の焦点であり内容なんだ。同時にそういう素晴らしい内容をもって打ち込んだ修行の事なんです。金銀銅と皆さんどうでしょうか。銀賞くらいは頂ける。銅賞くらいは頂けるじゃろうと確信のある、又それを頂けれる確信を持たれる位なです、寒修行で一つ終わらせて頂きたいと思うです。
そしてこれは人事ではない自分自身の事もです。神様を商法に使う様な事では、本当のおかげにならん。どんなに難しいとてもここの熊本という地区だけは、とてもあそこに入り込む為には、そうにゃ凌ぎを削る様な思いをしなければならんだろう。だからそいう難しい所ならば、こちらが慾を捨ててしもうて、自分家の畑だけ拡げようと云うのじゃなくて、本当に難儀な事が助かる事の為ならです。
何処の手続きだってそんな事は問題じゃないと云う心になる時に、次は又実際私は今度、認めて貰うと云う書類に判を押して貰わなければ出来ませんけれどもです。けれども山田さんの話を聞くと、是は私が行きさえすりゃ判は頂ける様な感じですけれども。そこまでのおかげというものが、こちらが慾を離した所からそういう働き。兎に角何日前に聞いた、博子先生が熊本に布教するというのに、然もそれは自分の自宅にするのにも拘らず、しかもこの教会には一里、この教会には一里という処だそうです。
だから問題を云う処がないのだけれども、皆が反対したという程しに難しい熊本の土地柄ということを、聞いたばっかりであったけれどもです。植木と今居る処なんかは、ほんの川一重だそうです。行って見て自分もたまがった。それでそういうて人が助かる事の為だから、どうぞお出で下さいと言はんばかりの事を聞いて来たと言われる様なです。そういう事柄というものが、そういうスム-ズな展開を、そういうおかげの展開がある訳なんです。問題はこちらの心次第なんだ。
だから心次第の処を愈々確かめる、心次第の処を愈々極めさせて貰うてです。この心この行き方ならば間違いないという焦点をおいて、信心の修行がなされなければいけんと云う事になりますよね。今日は九十五節を今迄私もそういう風には気付かなかった。又そういう今日の様な表現で聞いて頂いた事は、初めてであると言う様な意味での、神を商法にしてはならんぞと教えられる御教えを聞いて頂いた訳ですね。
どうぞ。